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2007年05月29日

子供の目が見た戦争 その14



子供の目が見た戦争シリーズは2006年10月17日の 「その13」 で止まっていた。
戦争体験者でブログが書ける人も少ないと思うので続きを書くことにしよう。
体験者と申しても生々しい死体がどうのと言うのは殆ど記憶にないが、食うのが全く無くて一日一日をどう生きるかと言う深刻な状態が長いこと続いていたのは事実である。母の母であるバーちゃんと弟は体力が続かず餓死をした。結局、我々の命を救ったのは田んぼにいる大量の蛙だったのである。

毎日毎日蛙をチンブク(細い竹の鞭)で叩いて捕らえて飢えを凌いで生きて来たのだ。その思い出を新たにするため終戦からかなり経ってから軍のレストランで食用蛙の料理を頼んだら非常に不味かった。
普通の蛙が美味なのか、自分の舌が肥えたのかは定かでない。とにかく、戦争中の田んぼの蛙は非常に美味かったという強烈な印象が残っている。

最近、ニュースで流されている日本兵が住民を脅して崖からの飛び降り自殺を強要した集団自決問題は当時8歳前後の子供には詳細を知るよしも無いが、それとなく話には聞いていた。
敗戦のパニックで狂人と化した日本兵が今で言う強盗殺人のように人を殺して食い物を奪ったという話は耳から耳へと伝わり皆が怯えていたので記憶として頭に残っている。当然のことながら生きるためには手段を選ばずということは多分あったであろうと思う。

せっかく戦争を生き抜いて、そのような強盗まがいの犯罪で命を落とした人も残念だが、終戦後に流行った火薬などを抜き取ってオモチャにする弾薬遊びで多くの子供が犠牲になった。
マスコミが無いためこの危険極まる遊びを止める手立てがなく、爆発事故が後を絶たなかったことを覚えている人も今ではカナリ減ったと思う。

いつの世にも命がけの危険な遊びは後を絶たない。当時は、銃弾や手榴弾を使った遊びや時には大型の爆弾まで解体して遊んでいたのである。大きな爆発音が普通の家の中から聞こえて、皆が駆けつけると人間の形は無く無数の肉片が壁にくっついていたなど、せっかく戦争を乗り切ったのにネ~~~

後々、爆弾事故は子供から大人へと伝わり爆薬を使った魚捕りへと発展し事故死はあちこちで多発した。何しろ山に入れば至る所に銃弾が落ちてる時代だったから、ジュンちゃんも危ないと知りつつ銃弾からの火薬抜き取りには参加していた。 
段々とエスカレートし、上級生で器用な子は本物に近いピストルを作って実弾射撃で遊んでいた。
今なら信じられないことである。

子供の目が見た戦争、興味のある方は2006年10月17日以前に遡って読んで下さい。    続く(カモ)


    






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Posted by ジュンちゃん at 17:55│Comments(11)
この記事へのコメント
最近よく戦争映画を見るんですけど、

戦争ってのはほんとに醜いですね。

戦争中の兵士の体験談なんかはよく聞くんですが、

こういった、戦後の子供の危ない遊びなんかは

聞いたことが無かったんで沖縄戦を知る上で、すごい勉強になります。
Posted by chaman at 2007年05月29日 22:07
chaman さん

地域は違っても危険な遊びはどこも同じだったようで沖縄全域で同じような
爆発事故が起きていたようです。
いつの頃も、親がヤメロと言うと逆らう子はいたのですね~
Posted by 新崎純 at 2007年05月29日 23:21
はじめまして、このような沖縄戦についての体験を載せていらっしゃるブログは多くはないと思い、大変興味深く拝見いたしました。
私は京都出身ですが、祖父から戦争の話をちょっときいたことがあります。
映画「蟻の兵隊」をご覧になったでしょうか?あれと同じ、終戦後も軍命で中国に残され、共産党軍と闘って、数年後にやっと日本に帰ってきたのですが、なぜか除名処分になっていて恩給などまったく受けられなかったというのが 私の祖父です。
祖父から体験をきいて、平和についてとってもよく考えるようになりました。
沖縄に嫁に来たので、京都のばーちゃんから体験をきくこともなかなかできず、またなかなか気軽に沖縄では戦争体験をたずねることもできずにおります。
このブログはとっても貴重だと思います。わが子にもこういうお話を絶対聞かせてやろうとおもいます。

それから、糸満出身のうちの旦那も、三十路をこえた世代ですが 幼い頃 ちょっと年上の子たちが 裏山に行って不発弾を爆発させて小川をせき止めたりして遊んでいたのを見ていたそうです。
今でもしょっちゅう不発弾が見つかるのですから、30年前にはもっと大量にあたんでしょうね。
近所のこどもたちでガマ探検をしたら、日本兵の死体を発見して、大騒動になったということも話していました。
大して年も違わない旦那が こんな経験をしているとは内地出身の私からして衝撃でした。
Posted by ちんまーやー店主の嫁 at 2007年05月30日 14:43
ちんまーやー店主の嫁 さん

貴重なコメント有難うございました。
おじいさんの話も興味あります。
爆弾遊び、火薬遊びは当時の人なら殆ど体験済みだと思います。
ちんまーやーは居酒屋ですよね~ 自分は飲めませんが。
Posted by 新崎純 at 2007年05月30日 17:43
自分では普通と思う体験も,あとの人にはとても大事な事だったりしますね.
我々の親の世代には,思い出すのも辛すぎて,なにも語らずに逝ってしまわれた方もおおいようです。
 
純兄さんは今の人たちが聞いたらトウンモウルような話もいっぱいあるんだから,天国までテイクアウトしないで下さいよ。
Posted by むね at 2007年05月30日 20:22
ご無沙汰です

私は最近、時間があれば、沖縄の慰霊碑やガマ・トーチカめぐりをしています!

資料館に行くと・・・「鉄の暴風雨」・・・すさまじい・・・・

現在でも不発弾処理が続いていますものね・・・
Posted by 珊瑚礁 at 2007年05月30日 22:52
珊瑚礁さん

ホント、久し振りです。お元気してますか。
慰霊碑やガマ巡りご苦労様です。
鉄の暴風雨の体験はありなせんが、
クイモン地獄は トコトン味わいました。
Posted by 新崎純 at 2007年05月30日 23:20
勇気を持って後生に伝える大切さをなさっていること、意義深いと思います。教科書問題も風化を狙っているようで心配です。
Posted by 艦砲の食い残し at 2007年05月31日 09:30
むねさん

悲惨を引きずらないで時代の流れとして受け入れることも
大事なことですよね。
戦争の話をするとき、お涙頂戴で話す人を軽蔑します。
さりげなく、さらりと、話すのが カッコ良いのです。

本土の人が同情の言葉を掛けるのにも抵抗があります。
自分はこの厳しい体験を糧にして今の逞しさがあるのだと
前向きに考えることにしています。

自分にとって戦争体験も貴重な勉強だったと思ってます。
戦争の同情を強要するような雰囲気があるのを実に情けなく
思います。沖縄のひ弱な面はそのような甘え心が根底に
あるのだと思っております。沖縄の所得が異常に低いのも
その甘えが原因ではないのでしょうか。

「同情される」 の裏には 「馬鹿にされる」 「なめられる」 という
現実が隠れていることを知るべきです。
沖縄を、もっと逞しく、所得の高い県にしたいですね~
Posted by 新崎純 at 2007年05月31日 12:13
艦砲の食い残し さん

国の方針で教科書から記述が消えるのでしたら、恐らく反対しても
元に戻ることは無いでしょう。
前向きに考えるならば、このニュースのお陰で多くの人が知ることに
なり関心も高まったことですから、口づてに伝えて事実を闇に葬らない
ようにすべきでしょう。
大きな碑のようなのを建てて事実を詳しく書き込み、多くの方々に
見て貰うことも大切でしょう。
Posted by 新崎純 at 2007年05月31日 12:28
艦砲の食い残し さん

(続きです)
教科書で日本兵が集団自決を強要したとの記載は、国のお偉いさん
からみると国の恥を曝すことになると考えてるのではないでしょうか。
国の方針として自国の名誉を守るため教科書から消したいのでしょう。

他の国または他府県の人たちに知られたくない恥の部分として隠すの
かも知れませんね。いずれにせよ、戦争に狂人はツキモノです。
支那事変に於ける日本兵の狂人ぶりは世界中に知られすぎてます。
集団自決問題も臭いものには蓋をせよ、でしょうかね~~
Posted by 新崎純 at 2007年05月31日 15:38
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